みんなのねんきんの概要と創業者の想い

みんなのねんきん

年金をもっと身近にもっとわかりやすく

みんなのねんきん社会保険労務士法人

年金で障害者に寄り添い、年金で社会に貢献する

みんなのねんきんグループ 会社概要

法人名 一般社団法人 次世代ウェブ教育開発研究機構
所在地:東京都中央区銀座1丁目12番4号 N&E BLD.6F
みんなのねんきん社会保険労務士法人
所在地:東京都千代田区九段南1-5-6りそな九段ビル5F
代表者 一般社団法人 次世代ウェブ教育開発研究機構 代表理事 下村 毅
みんなのねんきん社会保険労務士法人 社会保険労務士 岡田真樹
連絡先 お問い合わせフォームをご利用ください
事業内容 ウェブを活用した通信教育の実施
公的年金に関する研修・セミナーの実施
年金試験対策研修・セミナーの実施
年金手続き代行業務
設立 2014年8月8日 次世代ウェブ教育開発研究機構
2020年3月17日 みんなのねんきん社会保険労務士法人
創業者 下村 毅

みんなのねんきんグループの理念・ビジョン・戦略

みんなのねんきんグループは、

年金をもっと身近もっとわかりやすく

を理念としています。

年金力養成講座「みんなのねんきん」のビジョン

この理念に従い、年金力養成講座「みんなのねんきん」は、

年金をわかりやすく伝え、年金で社会に貢献する

をビジョンとしています。

このビジョンを受けて、ロゴマークはやわらかいオレンジを基調に、親しみやすい猫をアクセントに使い、年金の敷居を低くしていきたい意気込みを表したものです。

さらに、このビジョンを達成するための戦略として、以下の様々な手段で情報提供を行っています。

  • 毎週の年金コラムで年金のニュースや仕組みを解説
  • 公式メルマガの発行
  • セミナーの開催
  • 年金資格試験対策の情報提供
  • 年金の論点を4分で解説するユーチューブチャンネル「シモムーシェフの年金論点4分クッキング」の運営
  • 障害年金カウンセラー養成講座の運営

近年は「障害年金カウンセラー養成講座」に力を入れており、半年に1回、講座を開講しています。

障害年金カウンセラー ロゴ

(タップで紹介サイトに移動します)

みんなのねんきん社会保険労務士法人のビジョン

みんなのねんきんグループの理念に従い、みんなのねんきん社会保険労務士法人は、

年金で障害者に寄り添い、年金で社会に貢献する

をビジョンとしています。

さらに、このビジョンを達成するための戦略として年金手続きの中でも専門性が求められる分野に特化した業務を行っています。

業務を通じて、障害をお持ちで手続きにお困りの方のサポートを行い、社会に貢献します。

代表の岡田真樹社労士は自分自身の障害年金手続き経験を活かして、依頼者に寄り添った手続き代行を行います。

(右:代表の岡田真樹社労士)

弊社へのお問い合わせはこちらまで

お問合せ

みんなのねんきん創業までのいきさつ

みんなのねんきん主任講師シモムー

若い時から年金に興味を持つ変な青春時代でした

みんなのねんきんグループファウンダー(創業者)のシモムーです。

このいきさつは長くなりますので、時間の無い方は短く実績をまとめたページをご覧ください。

シモムー主任講師|みんなのねんきん

シモムーの経歴 大学在籍時、元中央労働委員会会長の諏訪康雄先生のゼミで労働法を学ぶ。 1999年、卒業と同時に企業法務・労働法専門の法律事務所(中山・男澤法律事務所)に就職。 2008年、旧社会保険庁 ...

続きを見る

なぜ私が公的年金を教える仕事をしているのか。

それは、

年金が好きだからです。

なぜ、こんなものが好きなのか?

それは、

大学時代までさかのぼります。

(ここからはちょっと長いです)

きっかけは社会保険労務士試験にチャレンジしたことでした。

卒業論文は年金制度への提言をするほど、年金って面白いって思っていたんです。

ただ・・。

「年金が好きだ」なんて周りには言えませんでした。

同年代から白い目で見られると思ったからです。

20歳台前半の若者が目をキラキラさせて老後の年金を語る・・。やはり、普通じゃありません。

大学卒業後は年金とは関係の無い仕事につきました。

勉強しなければすぐに忘れていきます。

そして、完全に知識がなくなった7年後に転機が訪れます。

当時の社会保険庁が運営する年金相談のコールセンターに転職したからです。

確かに知識は完全になくなっていましたが、私の年金に対する興味は再び燃え上がりました。

1本1本の電話相談が全て勉強になるという感覚で、「こんなに面白いものってないぞ」と当時興奮したものです。

乾いた砂が水を吸い込むようにどんどん知識を吸収していきました。

5000万件の宙に浮いた年金記録事件で激動の渦に

電話相談員を始めて3か月後に再び転機が訪れます。

当時私は、「年金って面白い!相談経験を積みながらちょっとずつ成長していこう」というつもりでいました。

ところが・・。

ある朝、出勤前に朝刊を見ると、「不明の年金記録が5000万件」との見出しが。

大きな事件となった宙に浮いた年金記録問題です。

当時の第1次安倍政権の安倍首相が「ねんきん安心ダイヤルを設置しました」と会見でのコメント。

その発表を聞きながら「どこにそんなコールセンターができるんだろう」と出勤してみると、

「今日からここが安心ダイヤルです」との上司のアナウンス。

は?ちょ待てよ。は?

と疑問に思う余裕もなく、一気に職場は戦場と化しました。

「バカ」「死ね」

国民の怒りがコールセンターに一気に押し寄せます。

まともに相談を受けられる状況ではありません。

次々と辞めていく同僚。

日に日に人がいなくなるんです。

「電話取りたくない」

あの状況下ではどんなに年金好きな人間でも同じ心境になったはず。

でも、なんとか食らいついたんです。

ここで辞めたら意味がない。

何より、

「誰かがやらなきゃいけない仕事じゃないか」

と自身を奮い立たせました。

それに、

どういうわけか、私が取る電話はみんなやさしい感じの人ばかりだったんです。

隣の席の同僚は

「怒鳴られて、キツイわ」なんて言っているのですが・・・。

あとからよくよく考えてみると、

どんな状況でも電話口のお客様のお話をしっかり聞こうと思っていたのが良かったのだと思います。

親身になって受け答えして、今できうる限りの対応策を考える。

だから、結果的に自分自身でやさしい感じの人を惹きつけている。

多くのことを学べました。

教えることの楽しさに目覚める

そういった状況でも前向きに仕事に取り組んだことが更なる転機をよびました。

コールセンターの新人研修を任されることになったんです。

とにかく人が足りません。

毎月毎月の研修が朝から晩まで続きます。

100人単位の新人が部屋に入り切らないので、朝昼晩の3交代制で同じことを1日に3回講義するなんてこともありました。

でも不思議と疲れないんです。楽しかったんです。

そこでわかったんです。

「俺って教えるの向いてんじゃないか?」

それがまたまた転機を呼びます。

社労士資格試験の予備校講師の仕事も始めることにしました。

最初の受講生は1名

「俺は年金が得意だ!相談経験もあるし、教えるのも得意だ!」

という自信は、最初の授業で打ち砕かれました。

自分が企画した授業への参加者は1名。

広々とした教室内でのマンツーマン授業。

1名の参加者は辛かったでしょう。

私も辛かった。

予備校講師のデビュー直後は散々でした。

その後も泣かず飛ばずが続きます。

何がショックって、

受講生が席を立って帰ってしまうんです。授業中に。

好きが高じて無謀にも起業する

それでも半年後には徐々に軌道に乗り始めました。

千葉や横浜でクラスを持たせてもらうことになり、せっかく来てくれた受講生をいかに飽きさせずに講義をするか、そればかりを考えていました。

講師を始めてから5年後。

最終的には私の名前を冠した担任クラスの提案が学校からあったのですが・・。

辞めました。

挑戦したいと思ったんです。

自分が好きな年金を、完全に自分のやり方で、誰にも口を挟まれずに、教えたいと。

そして、無謀にも会社を設立したんです。

シモムー
シモムー
複雑な年金制度を自分のやり方で教えたい

たったそれだけの想いでした。

当初は公的年金を学ぶためのオリジナルテキストと解説動画を販売するビジネスでした。

テキストは全てイチから私が執筆し、約2年掛けて完成させました。

入門編とベーシック編合わせて450ページのボリュームでした[

2部構成で計400部のテキストを印刷し150万円程の費用がかかりました。

(本当は3部構成であと200ページくらい執筆する予定だったのですが力尽きました)

実はこのテキスト、共同で執筆する予定でした。

執筆開始早々のことです。

「やっぱり書けません」

共同執筆者からの連絡。

不思議とその執筆者を恨む気持ちはおきませんでした。

「自分は安易に他人に依存していた。本当の覚悟が足りなかった」

だから、その時に決めたんです。

シモムー
シモムー
たった一人でもやり切ってやろう

そんなわけで、テキストを作るのにだいぶ時間が掛かってしまったのです。

執筆が終わると解説動画作りに着手しました。

収録するためのスタジオを自身で構築し、機材をセットして、自身でしゃべり、自身で収録し、自身で編集をし、膨大な時間を掛けました。

(ここで、動画作成の技術を身に着けたことが、のちのち動画で解説する様々な講座に結びつきました。全てはつながっています。)

図解と撮影映像を合成するのはかなり苦労しました

インタビューを受けているようで実は自作自演です

起業時にありがちなこと、それは「自分の得意なこと・自分のやりたいこと」だけでビジネスにすること。

当然、ビジネスはそれだけでうまくいくはずがありません(需要がなければだめですし、いいものを作っても勝手に世間に広がることもありません)。

1年目の売上は4万円

なんとか、動画も完成させて、いよいよ「みんなのねんきん」サイトをオープンさせます。

そして1週間後、サイトが消えました。

いろいろいじっているうちに設定がおかしくなってしまったからです。

オープン直後だっただけに、ショック過ぎて何も喉を通りませんでした。

近所の川沿いをボーっと歩きながら、

「まだ引き返せるじゃないか」

本気で会社をたたむことを考えたものです。

でもやっぱり諦めきれませんでした。

再び業者にお金を払い、修正してもらったものの、手元の資金は残り20万円程に。

ようやくスタートラインに立って快進撃が始ま・・・ることはありません。

発売した教材の1年目の売上は43,340円。

1年売って約4万円にしかなりませんでした。

もはやビジネスではなく、自己満足以外の何者でもありません。

普通なら倒産です(起業1年目で半分のビジネスが姿を消すそうです)。

売上はなくても毎月の家賃や電気代は容赦なく請求されます。

電気代を節約するため、エアコンを止めて寝袋で震えたことは今でも忘れません。

「こんなことならサラリーマンやってたほうがよっぽど良かった」

コンクリート造りの収録スタジオは地下だったので冬は寒かったのです。

何度も諦めようと思いました。

でも、その都度、

「何か道があるのではないか」

「もがいていれば何か開けるんじゃないか」

諦めなかったことは確かです。

やみくもでも、とにかく考えて、行動して、継続することだけはしてきました。

徹底的な経費の削減、ブログの構築、メルマガの配信、セミナーの企画、DVDの販売・・。

「これは面白いかも」と思ったものはすぐに実行。

もちろんボツになった企画もたくさんあります。

それでも、起業してから9年経ち、ようやくまともな会社経営ができるようになりました。

苦しい時期を経たからこそ、

年金をもっと身近もっとわかりやすく

の理念を追求できるようになりました。

みんなのねんきん社労士法人を立ち上げるも・・

そして、2020年4月。

障害年金手続き代行業務に特化した「みんなのねんきん社会保険労務士法人」を設立。

また一つ、自分がやりたいと思ったことの挑戦を始めました。

ところが・・

新型コロナウィルスによる緊急事態宣言の発令。

全産業のサービスの需要が冷え込む最悪の時期の船出となりました。

シモムー
シモムー
俺は・・・、どこまでタイミングが悪い人生なんだよー!

どうらや私の人生はどこまでもツイてないようです。

新しいことを始めると、すぐに困難な壁が立ちふさがる・・・。

でも、こう思うことにしました。

「オラ、ワクワクしてきたぞ」(by ドラゴンボール 孫悟空)

決して諦めずに前進していく!と決めてから1年。

結局、障害年金の問い合わせは1年で約1,000件となりました。

障害年金手続きに特化した社労士法人の設立は結果的に間違っていませんでした。

2021年6月からは社労士法人で培ったノウハウを提供して障害年金手続きのプロフェッショナルを養成する”障害年金カウンセラー養成講座”を開始。

とにかく挑戦し続ける。

これが私の生き方です!

 

2019年8月29日

更新したらメールでお知らせ!メルマガの送信許可をください。解除はいつでもできます
送信許可はこちら