どんなニュース?簡単に言うと
2023(令和5)年5月、厚生労働省から『日・オーストリア社会保障協定交渉における実質合意』と題する発表が行われました。
公表された資料に詳しい記述はありませんが、どうも年金と関係がありそうです。
そこで今回は、日本が他国と結ぶ社会保障協定と年金制度の関係を見てみましょう。
どんなニュース?もう少し詳しく!
日本とオーストリアが社会保障協定で合意へ
2023年5月13日に厚生労働省が発表した『日・オーストリア社会保障協定交渉における実質合意』と題する資料は、次のようなものです。
上記資料によると、日本とオーストリアの間では、企業が社員を相手国に赴任させるときに両方の国の社会保障制度に加入させなければならず、この仕組みが課題になっているとのことです。
そこで、日本とオーストリアはこの課題を解決するため、「国家間の協定」を結ぶことで合意をしたそうです。
協定の名称は「社会保障協定」といいます。
ただし、協定の内容を確定させるための作業が今後も続くため、日本・オーストリア間の協定が利用できるようになるのはまだ先の話のようです。
ここがポイント! 日本・オーストリア間の社会保障協定
日本とオーストリアは、企業が社員を相手国に赴任させる際に発生する課題に対応するため、社会保障協定を締結することで合意した。
海外進出企業を悩ませる年金トラブル
「日本とオーストリアの間では、企業が社員を相手国に赴任させるときに両方の国の社会保障制度に加入させなければならず、この仕組みが課題になっている」とは、一体どういうことなのでしょうか。
日本の企業が海外に社員を赴任させるケースで考えてみましょう。
実は、日本の企業が海外に支店などを開設し、社員を日本から海外に赴任させる場合には、年金について次のような問題が生じることがあります。
《海外赴任に伴う年金トラブル①》
社員は海外赴任中も日本の年金制度に加入するのに、赴任国の年金制度にも加入を強制される。その結果、年金の保険料を日本と赴任国の両方の年金制度に納めなければならなくなる。
海外赴任に伴い、2つの国の年金制度に同時加入が義務付けられることは少なくありません。
そのため、年金保険料を2つの国の年金制度に納めなければならず、保険料負担が過大になるという問題が生じます。
例えば、日本の企業がオーストリアに支店を開設し、日本から同国に社員を赴任させるとします。
この場合、社員はオーストリアの支店で働き始めても、日本国内で勤務していたときと同様に日本の厚生年金への加入を継続しなければなりません。
厚生年金には「日本国内で働いている人のみを加入対象とする」という制限がないからです。
一方、オーストリア国内で働く場合にはオーストリアの法律により、国籍にかかわらず同国の年金制度への加入が義務付けられます。
従って、オーストリアの支店に赴任している間は、日本人の社員であってもオーストリアの年金に入らなければなりません。
このような事情から、年金の保険料を日本の厚生年金とオーストリアの年金制度の両方に納める義務を負うことになり、いわゆる「保険料の二重負担」が発生してしまいます。
日本国内で働いていれば日本の厚生年金にしか年金保険料を納めないのですから、国内勤務に比べて保険料負担が過大になるといえます。
また、次のような問題が生じることもあります。
《海外赴任に伴う年金トラブル②》
海外に赴任する年数が赴任国の年金をもらうために必要な「年金加入年数」よりも短い場合、赴任国で年金の保険料を納めてもその国の年金はもらえない。
多くの国の年金制度では、年金をもらうためには「年金制度に一定年数以上加入した実績があること」を条件としています。
そのため、海外赴任の期間がその国の年金を受け取るために必要とされる「年金加入年数」よりも短い場合には、赴任中に保険料の納付が強制されるのにもかかわらず、その保険料が年金の受け取りに繋がらないという現象が起こります。
いわゆる「保険料の掛け捨て」という問題が生じるわけです。
例えば、日本の年金制度では、老後の年金をもらうためには「年金制度に10年以上加入した実績があること」を原則の条件としています。
加入が10年未満であれば老齢年金を1円ももらえないのが、原則ルールです。
これに対してオーストリアの年金制度では、老後の年金をもらうためには「年金制度に15年以上加入した実績があること」を原則の条件としています。
従って、仮にオーストリア赴任の期間が15年よりも短い場合には、赴任期間中にオーストリアの年金制度に保険料の納付が強制されるのにもかかわらず、同国の老齢年金は受け取れないことになります。
「オーストリアの老齢年金はもらえない」と分かっていても、年金保険料を納め続けなければならないわけです。
以上のように、日本の企業が海外に進出する際には、年金保険料の「二重負担」と「掛け捨て」という2つの大きな問題に直面しがちといえます。
ここがポイント! 企業の海外進出に伴う年金トラブル
日本の企業が海外に進出する際には、年金制度の二重加入による「年金保険料の二重負担」、赴任国の年金受給資格を満たせないことによる「年金保険料の掛け捨て」という2つの問題が発生しやすい。
海外赴任に伴う年金問題を回避する社会保障協定
上記のような年金上のトラブルが企業の海外進出の足かせになることを防ぐため、国同士が話し合いによって国家間の約束事を設けることがあります。
これが社会保障協定です。
協定の内容は国ごとに異なるため一概にはいえませんが、一般的には次の2点を約する内容が多いようです。
- 相手国に赴任中は「一方の国の年金」だけに加入すればよいことにする。
- 相手国の年金への加入年数が基準を満たさなくても、年金を受け取れるようにする。
一般的に社会保障協定では、協定が結ばれている国に日本から社員を赴任させる場合には、赴任期間が5年以内の予定であれば日本の厚生年金だけに加入すればよいとされます。
その間、赴任国の年金制度への加入は免除になります。
一方、赴任期間が5年を超える予定の場合には、赴任国の年金制度だけに加入すればよいとされ、日本の厚生年金への加入は免除されます。
このような取り決めが行われるため、協定が結ばれている国に日本から社員を赴任させるケースでは、2つの国の年金制度に同時加入することがありません。
その結果、年金保険料を2つの国の制度に納める必要がなくなり、過大な保険料負担を回避できるわけです。
これが社会保障協定の「保険料の二重負担防止」という仕組みになります。
また、一般的に社会保障協定では、年金の受け取り条件である「年金加入年数」の基準を満たしているかは、日本と赴任国の2つの年金制度の加入年数を足して判断することが取り決められます。
このような仕組みを、「年金加入期間の通算」といいます。
具体例で考えてみましょう。
例えば、40年間の会社員生活のうち、6年間だけ海外赴任をした日本国籍者がいるとします。
40年の現役生活のうち日本で働いた34年間は日本の厚生年金に加入し、海外赴任中の6年間は赴任国の年金制度に加入していました。
また、赴任国の年金制度では、老後の年金をもらうためには「年金制度に15年以上加入した実績があること」が条件になっていたとします。
この場合、赴任先の国の年金をもらうためには「15年以上の加入実績」が必要なのですから、6年間赴任して保険料を納めただけでは、その国の年金はもらえないのが通常の取り扱いです。
従って、6年間の赴任中に納めた保険料は、全て掛け捨てになってしまいます。
ところが、赴任先の国が日本と社会保障協定を結んでいる場合には、日本と赴任国の2つの年金制度の加入年数を足して「15年以上」あれば、赴任国の老齢年金が受け取り可能になります。
このケースでは日本の厚生年金に「34年」、赴任国の年金に「6年」の加入実績があるのですから、両方の加入年数を足すと「40年」です。
そのため、「15年以上」の条件を満たすと判断され、赴任国の老齢年金が受け取れることになるわけです。
もらえる金額は6年間の加入実績に応じた額とされます。
以上のように、社会保障協定には「保険料の二重負担防止」と「年金加入期間の通算」という2つの約束事を盛り込むのが一般的です。
これにより、海外進出を行う企業は今までのような年金トラブルを被ることなく、事業運営が可能になるといえます。
なお、社会保障協定では日本の企業が他国に社員を赴任させる場合だけでなく、他国の企業が日本に社員を赴任させる場合にも同様の取り扱いが行われます。
そのため、国境を超えたビジネス展開の促進が期待できる仕組みといえるでしょう。
ここがポイント! 社会保障協定の2つの仕組み
社会保障協定では、「保険料の二重負担防止」「年金加入期間の通算」という2つの仕組みを盛り込むのが一般的である。これにより過大な保険料負担を回避でき、赴任国での保険料納付が年金受給に結び付きやすくなる。
日本が協定を結ぶ国は少ない
外務省の発表によると、世界には日本以外に195の国があるそうですが、日本はそのうち何カ国と社会保障協定を結んで利用していると思いますか。
現在(2023年6月現在)、日本が社会保障協定を締結し、その協定の利用が開始されている国は22カ国です。
締結した協定の効力が発生し、実際に使えるようになることを「協定が発効する」といいます。
日本にとって初めての社会保障協定はドイツと締結した日独社会保障協定で、今から20年以上前の2000(平成12)年2月に発効しています。
その後、協定を締結・発効した国は徐々に増え、現在22カ国にまで達したところです。
半数以上はヨーロッパの国々で、次のとおりです。
また、ヨーロッパ以外では次の各国との社会保障協定が発効しています。
社会保障協定は、必ずしも年金についてだけ取り決めるものではないからです。
協定の内容は国によって異なりますが、年金に加えて健康保険や雇用保険、労災保険などについても二重加入防止の対象としている協定が少なくありません。
そのため、社会保障制度全般に関する約束事という意味で「社会保障協定」という名称が使用されているようです。
なお、英国、韓国、中国との協定では「保険料の二重負担防止」のみが定められており、「年金加入期間の通算」は定められていません。
そのため、日本からこの3国に赴任した場合には、それぞれの国の年金加入期間だけで基準を満たせないとその国の年金は受け取れないことになります。
ちなみに、老後の年金を受け取るのに必要な年金加入年数は、英国と韓国が10年、中国が15年を原則としています。
ここがポイント! 日本との社会保障協定が発効している国の数
日本との社会保障協定が発効している国は、22カ国ある。なお、英国・韓国・中国との協定には、「年金加入期間の通算」は定められていない。
企業年金があると被りやすい協定のデメリット
良いことばかりに思える社会保障協定ですが、実は思わぬデメリットも存在しています。
海外赴任者が企業年金の利用を継続できなくなるケースがあることです。
企業の中には、社員の老後の年金収入を充実させる目的で、厚生年金とは別に確定給付企業年金(DB)や企業型確定拠出年金(企業型DC)を導入しているケースがあります。
これらの制度は、原則として厚生年金の加入者でなければ利用ができない仕組みになっています。
しかしながら、社会保障協定によって赴任国の年金制度に加入することになった場合には、日本の厚生年金からは抜けなければなりません。
この場合、海外赴任中は厚生年金に加入しないのですから、日本国内で勤務していたときに利用していたDBや企業型DCも継続ができなくなってしまいます。
その結果、将来、企業年金から受け取る年金額も、海外赴任によって加入期間が短くなった分だけ少なくなってしまうわけです。
そうですよね。
そこで、このような不都合を避けるため、社会保障協定によって加入が免除された厚生年金に任意で加入できる「特例加入制度」という仕組みが用意されています。
この制度を利用すれば、赴任国の年金制度に加入中も日本の厚生年金の加入を継続できるため、海外赴任中でもDBや企業型DCの利用が可能になります。
そのため、「海外赴任をしたために企業年金が少なくなった!」というデメリットを被ることがありません。
もちろん、厚生年金の「特例加入制度」を利用するということは、日本と赴任国の2つの年金制度に同時加入することを意味しますので、その分、保険料負担が重くなってしまいます。
「特例加入制度」はその点も踏まえ、利用するかどうかを検討することがポイントといえます。
ここがポイント! 厚生年金に任意で加入できる「特例加入制度」
社会保障協定によって赴任国の年金制度に加入したとしても、日本で加入していた企業年金を継続するなどの目的で厚生年金に任意加入することが可能である。
今回のニュースまとめ
今回は「社会保障協定と年金制度の関係」について見てきました。
ポイントは次のとおりです。
- 日本とオーストリアは、企業が社員を相手国に赴任させる際に発生する課題に対応するため、社会保障協定を締結することで合意した。
- 企業が海外進出する際には、年金保険料の「二重負担」と「掛け捨て」という2つの問題が発生しやすい。
- 社会保障協定を締結すると、海外赴任者の過大な保険料負担を回避でき、赴任国での保険料納付が年金受給に結び付きやすくなる。
- 日本の社会保障協定は22カ国と発効済みである。
- 赴任国の年金制度に加入した場合、厚生年金の「特例加入制度」を利用すれば厚生年金に任意加入できる。
社会保障協定は、厚生労働省が実質合意を発表してから実際に発効するまで、かなりの時間がかかります。
例えば、直近に発効したスウェーデンとの社会保障協定の場合、実質合意の発表から2022年6月の協定発効まで4年1カ月を要しています。
その前に発効したフィンランドとの協定では、合意の発表から2022年2月の協定発効まで3年かかりました。
今回発表されたオーストリアとの社会保障協定も、実際に利用できるようになるのはだいぶ先のことになりそうです。
出典・参考にした情報源
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厚生労働省ホームページ:日・オーストリア社会保障協定交渉における実質合意
日・オーストリア両国政府は、昨年9月から日・オーストリア社会保障協定の締結に向けた政府間交渉を進めてきたところですが、交渉を重ねた結果、今般実質合意に至りました。今後、双方は、本協定の署名に向けた協定 ...
続きを見る
-
日本年金機構ホームページ:社会保障協定
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大須賀信敬
みんなのねんきん上級認定講師