どんなニュース?簡単に言うと
2019年(令和元年)5月21日付の神戸新聞NEXT(神戸新聞の電子版サービス)に、妻の死を12年間隠し、多額の年金を不正受給したとみられる男の逮捕記事が掲載されました。なぜ、このような事ができたのでしょうか。今回は年金の不正受給の仕組みを考えます。
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どんなニュース?もう少し詳しく!
死亡した妻の年金1千万円を不正に受給か
記事によると、神戸市北区の無職の男(82歳)は死亡した妻が生きているように偽り、2012年(平成24年)から2015年(平成27年)までの3年間で約200万円の老齢年金を詐取した疑いにより、神戸北署に逮捕されました。
ただし、逮捕容疑となった不正受給の開始時期が2012年(平成24年)であるのに対し、男の妻の死亡時期はその9年前に当たる2003年(平成15年)とのこと。
従って、男が年金の不正受給を始めたのは、実際には妻が死亡した2003年(平成15年)からであり、その後、不正が発覚する2015年(平成27年)2月までの約12年間にわたり、合計1千万円近くの年金を不正に受給したものと神戸北署ではみているとのことです。
男が不正受給に用いた手法は、妻が日本年金機構に提出すべき『現況届』という書類を、妻の死亡後も「あたかも妻が生きているかのごとく出し続ける」という方法だったと報じられています。
実は、過去に発生した年金の不正受給事件をみてみると、『現況届』を悪用するという手法を用いていることが少なくありません。
『現況届』が不正受給に利用された背景には、次の2つのポイントが存在していると考えられます。
【不正受給の背景①】受給者の生存確認が「自己申告制」で行われていた
公的年金を受け取っている人に対しては、年に1回、公的年金業務を実施する団体による生存確認という作業が行われることになっています。
2009年(平成21年)12月までは、国民年金や厚生年金に関する業務は厚生労働省の外局である社会保険庁が行っていましたので、以前は社会保険庁が年金を受け取っている人の生存確認を実施していました。
生存確認とは年金受給者が健在かどうかを社会保険庁側がチェックし、健在であることが確認できた場合に限り、年金の支払いを1年間継続するという仕組みです。
この生存確認は、年金受給者に対して誕生月に送られる『年金受給権者現況届(通称:現況届)』という名称のハガキに必要事項を記入して返送するという方法で行われていたものです。
ただし、この『現況届』は年金を受け取っている人が健在であることの証しとして、「市町村長の証明」をもらうなどしてから返送することが義務付けられていました。
具体的には、『現況届』を受け取った年金受給者は役所に行き、自分が健在であることの証明として、『現況届』に「市町村長の証明」の記述や押印をしてもらいます。
証明を受けた『現況届』を社会保険庁に返送することによって生存確認が行われ、年金の支払いが継続されるという仕組みが採用されていたものです。
しかしながら、高齢の年金受給者が役所に出向いて「市町村長の証明」を受けるというのは、必ずしも容易なことではありません。
そこで、年金受給者の負担などを考慮し、1998年(平成10年)1月からは「市町村長の証明」は不要とされ、『現況届』に自分で必要事項を記入して返送すれば、年金の支払いが1年間継続される仕組みに変更されました。
つまり、年金受給者が生きているかどうかの確認が「自己申告制」に変更されたものです。
その結果、死亡した年金受給者の親族が『現況届』に必要事項を“代筆”して返送するという“不正行為”が可能になってしまいました。
返送された『現況届』について、社会保険庁が筆跡鑑定などをするわけではありません。
そのため、死亡した年金受給者に代わって親族が“代筆”した『現況届』であっても、そのことを見抜く術(すべ)はなく、「生存確認ができた」という取り扱いになってしまいます。
今回の不正受給では、逮捕された男の妻が死亡したのは、『現況届』への「市町村長の証明」が不要になった5年後の2003年(平成15年)と報じられています。
つまり、受給者の生存確認が「自己申告制」で行われていることを利用し、不正受給を始めたことが見て取れるものです。
【不正受給の背景②】住民票上の住所ではない場所を登録できた
その後、2006年(平成18年)10月からは、社会保険庁側が住民基本台帳ネットワークシステム(通称:住基ネット)で年金受給者の生存確認ができる場合には、年金受給者による『現況届』の提出が不要となりました。
つまり、以前行っていた、受給者本人に「市町村長の証明」を提出させて生存を確認するという仕組みを、社会保険庁側が住基ネットというコンピュータネットワーク上で行うことにしたものです。
住基ネットで生存確認を行う方法では、親族が『現況届』を“代筆”して死亡している年金受給者の生存を偽装することができません。
ところが、年金受給者は“住民票上の住所”とは異なる場所を自分の住所として社会保険庁に登録することが可能でした。
このような仕組みを「居所登録」といいます。
この「居所登録」という仕組みは、年金受給者が介護施設などに入所している場合に、自宅ではなく介護施設などの住所を社会保険庁に届け出られるようにするために設けられた方法といわれています。
「居所登録」ができることにより、何らかの理由で“住民票上の住所”以外のところに住む年金受給者に対しても、年金関係の郵便物を正しく郵送することが可能になるものです。
ただし、「居所登録」をしている年金受給者の場合には、そもそも“住民票上の住所”に住んでいるわけではないので、住基ネットを利用して生存確認を行うことができません。
そのため、『現況届』の提出が不要となった2006年(平成18年)10月以降も、「居所登録」をしている受給者については、従来どおり『現況届』による生存確認を継続することとされました。
その結果、2006年(平成18年)10月以降も、「居所登録」をしている年金受給者については、親族が『現況届』を“代筆”することにより生存を偽装することが可能になってしまいました。
年金受給者が介護施設などに入所している以外にも、例えば次のようなケースで「居所登録」が行われることがあります。
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「居所登録」のケース1:住民票を移動せずに“親族の家”に住む
たとえば、高齢になった年金受給者である母が、住民票を自宅住所に残したまま近所に住む娘夫婦の所に身を寄せているということがあります。
そのため、社会保険庁や2010年(平成22年)1月から公的年金業務を引き継いだ日本年金機構には“住民票上の住所”ではなく、実際に住んでいる“娘夫婦の住所”を「居所登録」しているとします。
このようなケースでは、年金受給者である母が死亡した場合に役所へ死亡届を提出したとしても、社会保険庁や日本年金機構は住基ネットで死亡の事実を把握できません。
登録されている住所が“住民票上の住所”ではないからです。
このとき、同居する娘が『現況届』を“代筆”して返送するようなことがあれば、死亡した母の年金の支給は継続されることになってしまいます。
「居所登録」のケース2:郵便物管理のため“親族の住所”を登録する
なかには、年金受給者は“住民票上の住所”に住んでいるにもかかわらず、社会保険庁や日本年金機構に対しては「居所登録」を行っているというケースも存在します。
たとえば、“住民票上の住所”に住んでいる年金受給者である父が、高齢などのために郵便物の管理を自分ではできないという事情を抱えているとします。
そのため、別居している息子が父の年金関係の郵便物を管理する目的で、社会保険庁や日本年金機構に“息子である自分の住所”を「居所登録」するということがあります。
このようなケースでも、年金受給者である父が死亡した場合に役所へ死亡届を提出したとしても、社会保険庁や日本年金機構は住基ネットで死亡の事実を把握できません。
このとき、郵便物の管理をしている息子が『現況届』を“代筆”して返送するようなことがあれば、父の年金の支給は継続されることになってしまいます。
今回の不正受給では『現況届』が悪用されていたことが報じられているため、2006年(平成18年)10月以降は「居所登録」の仕組みが利用されていたものと思われます。
ただし、今回の事件の場合に、どのような状況で「居所登録」を行っていたのかについては、報道内容からはうかがい知ることができません。
しかしながら、本稿で紹介した「居所登録」に類似する状況が少なからず存在したのではないかと推測されます。
不正受給防止のためにマイナンバーなどを活用
死亡した家族の年金を不正に受給する行為が大きな社会問題になったことを受け、2014年(平成26年)2月から厚生労働省と日本年金機構では、『現況届』で生存確認を行っている75歳以上の年金受給者について、本当に健在かどうかの調査を開始しました。
その結果、調査時点ですでに死亡していた年金受給者が233人、行方不明の年金受給者が89人もいたと発表されています。
その後、2017年(平成29年)2月に日本年金機構が送付する『現況届』からは、『現況届』に“住民票の写し”を添付するか、または“マイナンバー”を記入するよう、制度が変更されました。
この制度変更により、「居所登録」をしていたとしても、『現況届』に添付された“住民票の写し”や記入された“マイナンバー”を使って、年金受給者が健在かどうかの確認を取ることが可能になりました。
そのため、現在では『現況届』を悪用した不正受給は起こらないとされています。
今回のニュースまとめ
今回は、年金の不正受給の仕組みについて見てきました。
ポイントは次のとおりです。
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公的年金を受け取っている人に対しては、年に1回、生存確認という作業が行われている
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1998年(平成10年)1月から、『現況届』に自分で必要事項を記入して返送すれば年金の支払いが継続されたため、死亡した年金受給者の親族が『現況届』に必要事項を“代筆”して返送するという“不正行為”が可能になった。
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2006年(平成18年)10月以降も、「居所登録」をしている年金受給者については『現況届』による生存確認の仕組みが残されたため、親族による『現況届』を使った“年金受給者の生存偽装”が引き続き可能となった。
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現在は、『現況届』に“住民票の写し”の添付か“マイナンバー”の記入が必要とされているため、これまでのような不正受給は起こらないとされている。
年金の不正受給が可能であった背景として、今回は「生存の自己申告制」と「居所登録」を取り上げました。
もちろん、これらの制度は年金受給者の利便性を考慮して、また高度の社会的要請に応えるために生まれた仕組みです。
しかしながら、世の中の仕組みに“完全”と呼べるものはありません。
そのため、大変残念なことですが、制度の盲点を突いて不正を働く者は少なからず存在するものです。
わが国では2016年(平成28年)1月から行政機関によるマイナンバーの利用が始まっていますが、この制度の大きな目的のひとつが「不正受給などを防止し、公平・公正な税・社会保障制度を実現すること」にあるといわれています。
今後は、年金分野でもマイナンバーの活用が一層進み、“簡便な方法”で“正しい年金”を受け取れる仕組みの構築が期待されています。
出典・参考にした情報源
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日本年金機構ウェブサイト 年金を受給している方やそのご家族の手続き(共通事項) 誕生月がきたとき
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大須賀信敬
みんなのねんきん上級認定講師